「尾張連味鋺(うまし)栄太郎」について

「尾張連味鋺(うまし)栄太郎」について 古代史歴史作家の黒岩重吾氏は春日井市教育委員会主催の第1回春日井シンポジュームで『味鋺』をウマシと読むのが望ましいと述べている。よって、ペンネームは尾張連味鋺栄太郎(オワリノムラジウマシエイダロウ) あるいは 尾張連栄太郎KS(オワリノムラジエイダロウKS) とした。 味鋺神社の主祭神:…
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尾張連味鋺(うまし)栄太郎

「「「味鋺神社(名古屋市北区)」について」について」について 加藤新一郎のペンネームである。 古墳、遺跡の古代史研究家。北区楠味鋺在住、68歳。 伊藤秋男南山大学名誉教授、愛知県埋蔵文化財センター赤塚次郎氏、日本福祉大学副学長福岡猛志氏の講座を永年受講。現在、古代遊学会(代表:東山勝也氏)役員、名古屋東アジア史研究会会員、北区郷土史…
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「味鋺神社(名古屋市北区)」について

「味鋺神社(名古屋市北区)」について 味鋺神社で能田徳若万歳保存会(師勝町)が無形文化財の『尾張万歳』を平成16年5月16日奉納披露されたことがあった。尾張万歳は長母寺の無住国師(道曉)により法華経に節をつけて萬歳楽(歌詞)を作成し、陰陽師安部清明の血筋を引く、寺領味鋺在住の弟子(寺男):有政、有助、徳若の親子に教え、生活の糧とし、年…
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味鋺古墳群について

「「味鋺神社(名古屋市北区)」について」について 味鋺神社の伝承的由緒は祝詞形式で伝わり、味鋺地域には古墳が百塚在ったと言われ、近隣も含めると180余所諸墳墓があったと言う。明治17年地籍図初め地元古老の情報重視で研究調査により前方後円墳5基(5世紀か)、円墳18基(4世紀後半か)、不明18基(円墳か)総計41基確認した。当時、愛知県…
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「「味鋺神社(名古屋市北区)」について」について

「「味鋺神社(名古屋市北区)」について」について 尾張国安食庄は本拠:北区福徳町の広瀬島に館を代々構え居住した。現在の愛知工業高校辺りで、広瀬坊と呼ぶ古塚ある。又、守山区瀬古には高牟神社があり、牟は鉾の意味があり、物部氏の武器庫があった処と言われていて、その神社の祠官:安食助宣氏が明治7年頃に味鋺神社の「権小講義兼補」の地位にあり活躍し…
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「味鋺神社(名古屋市北区)」について

「味鋺神社(名古屋市北区)」について 味鋺神社は延喜式式内社で、創建は主祭神の宇麻志麻治命から、おそらく物部一族と想定される。神社の伝承的由緒によれば、味饒田命ではないかと思われる。 由緒では、元味鋺原新田(現在:味美町)の二子山古墳は味饒田命の墳墓と言われている。この古墳の墳丘には物部天神が祭ってあったので、古老によると味鋺神社のお…
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