味鋺歴史研究会

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zoom RSS 「味鋺神社(名古屋市北区)」について

  作成日時 : 2009/05/06 22:36   >>

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味鋺神社(名古屋市北区)」について
味鋺神社は延喜式式内社で、創建は主祭神の宇麻志麻治命から、おそらく物部一族と想定される。神社の伝承的由緒によれば、味饒田命ではないかと思われる。
由緒では、元味鋺原新田(現在:味美町)の二子山古墳は味饒田命の墳墓と言われている。この古墳の墳丘には物部天神が祭ってあったので、古老によると味鋺神社のお旅所であったと言われている。水分橋からの小牧街道が出来て交通の往来が激しくなってこのお旅所が廃止され、東八龍社に変更された経緯がある。
現在の通説では被葬者:目子媛であるが、考古学者:森浩一氏は味鋺神社の味饒田命の件は確認して見えるでしょうか?疑問である。味鋺歴史研究会:尾張連栄太郎KSより。

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「「味鋺神社(名古屋市北区)」について」について
「「味鋺神社(名古屋市北区)」について」について 尾張国安食庄は本拠:北区福徳町の広瀬島に館を代々構え居住した。現在の愛知工業高校辺りで、広瀬坊と呼ぶ古塚ある。又、守山区瀬古には高牟神社があり、牟は鉾の意味があり、物部氏の武器庫があった処と言われていて、その神社の祠官:安食助宣氏が明治7年頃に味鋺神社の「権小講義兼補」の地位にあり活躍している。味鋺神社社務所の古文書「御用留」による。尚、その高牟神社では鎌倉時代の重文『金銅鶴丸文散兵庫鎖太刀総長94.1cm』が数百年前熱田神宮に奉寄進されて... ...続きを見る
味鋺歴史研究会
2009/05/06 23:57
味鋺古墳群について
「「味鋺神社(名古屋市北区)」について」について 味鋺神社の伝承的由緒は祝詞形式で伝わり、味鋺地域には古墳が百塚在ったと言われ、近隣も含めると180余所諸墳墓があったと言う。明治17年地籍図初め地元古老の情報重視で研究調査により前方後円墳5基(5世紀か)、円墳18基(4世紀後半か)、不明18基(円墳か)総計41基確認した。当時、愛知県土木課課長であった小栗鉄次郎氏は昭和10年「愛知県史跡名勝天然記念物調査報告・第13の『西春日井郡楠村大字味鋺付近の古墳及び遺物』で味鋺の古墳を述べている。... ...続きを見る
味鋺歴史研究会
2009/05/23 22:33

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